24才最後の日の出来事
その日は24才最後の日だった。
25才を翌日に控えた私は、見事なまでにフリーだった。
彼氏どころか、気になる人すらいなかった。
たまたま地下鉄に乗っていたら、
何だかすごく雰囲気のいい人がいた。
彼は右手でつり革を握って立っていた。
かっこいいな、と思った。
いつもならそこでフェイドアウトしていくはずの気持ちが、
その日に限ってどんどん燃え上がっていった。
今日は24才最後の日だし、24才の恥はかき捨て、と思ったっていいんじゃないか。
そんな意味のわからない考えが湧き上がって消えなくなった。
私は財布の中に入っていたセブンイレブンのレシートに一言と電話番号を書き、
車内のほとんどの人が降りる駅で降りた彼を追った。
そして人が溢れる階段で彼がしょっていたリュックのポケットにレシートをポスティングした。
あっという間の出来事だった。
翌日、知らない電話番号から電話がかかってきた。
彼だった。
その時私は自分の部屋にいて、その日はとても蒸し暑くて…でもそんなことはどうでもいいくらい心臓がバクバク言った。
とりあえず会いましょう、ということになって、後日私たちは会った。
それから何度か会った。
あれから5年以上の月日が流れ、
今、彼がどこで何をしているのか知らない。
ただ、時々ふと思い出しては、元気でいてほしいなあ、と思ったりする。
ものすごく勝手に、ものすごく外野から、そんなことを思ったりする。
3人で並んで働いていたこと
「私たち、1年後はどこにいるんでしょうね。」
去年の3月だった。
会社の移転に伴い、次の仕事を探していたYさんと私。
とりあえず契約満了まで残ると言っていたWさん。
どこにいるんでしょうね、と言いながら、
どこか他人事のように笑っていた。
私たち3人は営業事務だった。
Yさんはパート、Wさんは派遣社員、私は社員だった。
年齢も、性格も、見た目も…何もかもが違う3人だったけれど、
何だか一体感があった。
私は2人のことが大好きで、とても信用していた。
2人は仕事において絶対に“ずる”をしなかった。
「私たち、1年後はどこにいるんでしょうね。」と言った数日後にYさんは次の勤め先が決まり、
その一か月後に私も決まった。
最後に残ったWさんは…それから色々なことがあったようで、私が退職して半年も経たないうちに突然契約満了となった。
仕事以外に共通点のなかった私たちは、それから全く会っていない。
連絡も取っていない。
たまにLINEのアイコンが変わったことに気付くくらいだ。
今は会社も移転し、3人で並んだあの景色はもう思い出の中にしかない。
あんなにも当たり前に目の前にあった日々が、あっという間に消え去ってしまった。
でも、思い出すたび、楽しかったな、と思う。
それだけでいいのかもしれない。
サーチライトを眺めながら
「場違いー。」
ディズニーシーに着いた途端、Nさんはそう言って笑った。
私もそう思った。
Nさんも私も、ディズニーなんて柄じゃなかった。
1か月前。
会社の同僚の二次会で、Nさんは見事ディズニーシーペアチケットを当てた。
彼女のいないNさんは、彼女のいる後輩にチケットを譲ろうとして「さすがにそれは申し訳ないです。」と断られていた。
二次会の帰り際、新婚ほやほやの同僚はNさんと私に言った。
「一緒に行ってくればいいじゃん。」
同僚は、1年前に私がNさんに告白してフラれたことを知っていた。
Nさんはただ笑っていた。
二次会の次の日、私は髪を切りに行った。
合コンに行きまくり、ちょっといい感じの人ができたりもした1年だったのに、ディズニーシーに行けたらどんなにいいだろうと期待してしまった自分がイヤだった。
すっきりして帰宅し、Nさんからメールが入った。
なぜだかディズニーシーに行くことになった。
髪、切っちゃったじゃん、と一瞬思った。
朝イチの新幹線に乗り、ディズニーシーに辿り着いたのは開園直前だった。
一緒に順番待ちをし、一緒にアトラクションに乗り、一緒にごはんやおやつを食べた。
クリスマスを目前にした季節でとても寒かったけれど、私たちは常に一定の距離を保っていた。
帰りの新幹線に間に合わないからと、夜のパレードは途中までしか見られないことがわかっていた。
私は、人ごみの間から見えるパレードより、夜の空を走るサーチライトを眺めていた。
幾重ものサーチライトは、びゅんびゅん動きながら色を変えていた。
目が離せず、何てきれいなんだろうと思った。
好きな人のすぐ側で、こんなきれいなものが見られるなんて…と思った。
この先辛いことがあっても、がんばって生きていこう…と、今思うと笑っちゃうくらい暗い発想だけれどそう思った。
それくらい、幸せだった。
私たちは一定の距離を保ったまま、帰宅した。
別れ際、「じゃあ、また…」とNさんが言ったので、またデートができるのかと前のめりになったら、「また…会社で。」と言われズッコケそうになったことを今でも覚えている。
シベリア鉄道の朝
目が覚めると、ベッドの下からゴーッという音が聞こえた。
体を起こし、窓の外を見る。
外国の朝。
濃紺の空に、くすんだえんじ色が滲んでいる。
枯れた草木も、その向こうに見える家々も、何てことないのにとても素敵だった。
変わり映えのない景色を、しばらくじっと眺めていた。
私のシベリア鉄道の旅はわずか一晩の旅だった。
ハバロフスクでは、寒さのあまり耳が遠くなった。
10月だというのに、気温はマイナス3℃。
きちんと下調べしていかなかった私は、その中をシャツ1枚で歩いた。
“ウラジオストクはシャツ1枚で充分なほどあたたかかったのに…”
ちょっと都市間を移動しただけでこの違いか、と思ったけれど、
よくよく考えてみればウラジオストク⇔ハバロフスク間は東京⇔北海道間くらいに値する。
ロシアという国が大きすぎて、何百キロという距離を北上するのにちょっと隣り町に行くくらいの感覚になってしまっていたのだ。
そう言えば、前日に泊まったウラジオストクのホテルではシャワーのお湯が出ず水で髪の毛を洗った。
何かの修行かと思うほど寒かったけれど、ハバロフスクの方がずっと寒くて忘れていた。
寒さに縁がある旅だったんだな、と思う。
ウスペンスキー寺院の小さな丘で
転職する三週間前の五月だった。
退職前にまとまった休みは取れそうになく、勢いで予約したヘルシンキ行きの飛行機。
五日間という短い旅の最終日に、私はウスペンスキー寺院に来ていた。
寺院内の観光をさくっと終え、暇を持て余した私は寺院から一段下がったところにある小さな丘に腰を下ろした。
快晴の空は、日本とは違う青。
足元にはクローバーがもじゃもじゃと生えていた。
目の高さと同じくらいに、ヘルシンキ大聖堂の頭が見えた。
知らない街の地面に座り、知らない街をぼんやりと眺めた。
転職してやっていけるのだろうか、と思った。
やっていくしかないけれど、やっていけなくてもまあ仕方がない、と思った。
気持ちよい風が吹いていた。
友だちに写真を送ろうと、四つ葉のクローバーを探した。
足元に、うなるほどあるクローバー。
四つ葉はすぐに見つかった。
小さな小さな、私の指先くらいしかない四つ葉。
摘み取らず、そのままそっと写真を撮った。
あれから1年。
転職して、私は何とかやっていけている。
そしてそろそろヘルシンキが恋しい。